51回を迎えたその日に

前回で多分50回ですよね。今回で51回目です。
ガスのエアコンの話をしたのが50回だったんですよね。50回、何も触れずに終わってしまいました。自分でも忘れてました。
改めて、50回ありがとうございました。
ただ今日はちょっと、しんみりした回になります。昨日、私の義理の母が亡くなりました。

創業を支えた義母

義理の母は、この岡田電気工事の創業者の妻として、創業時代から会社に人生を捧げてきたと言っても過言ではない方でした。
先代が亡くなったのがちょうど3年前です。
その後の3年間も、会社の掃除や草の手入れ、困った時の相談役として関わってくれていました。
事業承継はだいぶ前に済んでいましたが、いつも気にかけてくれていました。

突然の脳梗塞と最期

脳梗塞が見つかったのは1週間前です。
救急車で運ばれましたが、2月で病院は満床でした。
最初は入院できないと言われましたが、検査で脳梗塞が見つかり、そのまま入院できました。ただ、急に悪化していきました。
最後はほとんど話もできませんでした。
延命措置を少しだけして、呼吸器も使いました。
脳は真っ白な状態だったそうですが、内臓はとても健康だったらしいです。食事に気をつけていたからでしょうか。
昨日、病院から葬儀場に運ばれました。

みんなに囲まれた幸せな最期

今回は親戚がたくさん集まりました。
集中治療室に入れてもらえたのですが、ドクターやナースの方が「こんなにたくさんの人に来てもらえるなんて幸せですね」と言ってくださいました。
先代の時はコロナ禍で病院に入れず、孤独な最期でした。
今回は娘3人、妻も含めてみんなで手を取り合って見送ることができました。
幸せな最期だったのではないかと思います。

寂しさと感謝、そして66年

振り返ると、事業承継の時はいろいろぶつかりました。
厳しい言葉もありました。正直、悔しい思いもたくさんしました。
でも、いなくなってしまうと最初に来るのは寂しさです。
その次に、感謝が込み上げてきます。
創業は1965年。会社組織になったのは1972年。
もう66年です。
祖父違いの祖父からお金を借りて、軽トラック1台、いやリアカーだったかもしれません、そこから始まったと聞いています。
そこから今の基盤を築いた。
本当に大きな功績だと思います。

お義母さんへ

お義母さん。
先代の奥様でもあり、私の義理の母でもあり、本当にいろんな関わりがあった方です。
病床では私は入れませんでしたが、録音して妻に届けてもらいました。今、ラジオでお話しさせてもらったことも含めて、本当に寂しいですが、今は感謝しかありません。
会社を通して関わらせてもらったのは最近の出来事ですが、その前は義理の母として関わっていただきましたし、その前は私も教会に行っている時に一緒に交わらせていただいたり、いろんな関わりがありました。
後ろ姿を見ると、いろんなご苦労があったと思います。先代と一緒に歩んでこられた日々を、私たちも本当に後ろを追いかけながら一生懸命歩ませていただいている、そんな気持ちでいます。
自分自身に置き換えると、辛い時も苦しい時も、お二人の背中を思い出しながら頑張っていきたいという気持ちになります。
お二人が残してくださった教えや、その時々に話していただいたこと、子どもたちに優しくしていただいたこと、社員の皆さんに対して引退してからも思いを寄せて関わってくださったこと。
他の企業にはない家族的な関わりを一緒にやってこられたことも、本当に感謝したいと思っています。
これから写真を見返したり、いろんな思い出が出てくると思います。家族で振り返りながら、古株の社員の皆さんとも分かち合いながら、残していただいた財産を感謝する時間を増やしていけたらと思います。
今は先代と一緒のところにいて、おそらく楽しみながら、「苦労があったね」と言い合いながら、私たちのことも見てくれていると思います。そして「頑張れ」という気持ちでいてくださると思っています。
そのエールを力にして、これからも頑張っていきたいと思います。
私と知り合ったのは小学校2、3年の頃だったと思います。もう40年以上になります。私の人生の半分以上を一緒に歩んでいただきました。
長い間、本当にありがとうございました。
そして、母の人生を一緒に歩んでくださった皆さまにも、この場を借りて感謝をお伝えしたいと思います。
お義母さんへ。花向けの言葉とさせていただきます。
ありがとうございました。

話し手

勝谷 篤史

株式会社岡田電気工事代表取締役

義父が経営する岡田電気工事の事業承継のタイミングで業界未経験ながらも転身。現在は同社の代表取締役として皆様のお力を借りなからなんとかやっています。